最終更新日:2018年05月23日
これまでの調査
第1次調査 昭和32年7月14日~8月2日
第2次調査 昭和33年8月13日~9月13日
第3次調査 昭和34年7月22日~8月22日
昭和30年,第22号台風によって,広田遺跡のある砂丘の海側の一部が崩壊し,人骨や貝でつくられた製品が砂浜に転がっているのを,地元の長田茂,坂口喜成さんが発見しました。長田さんの通報を受けて,盛園尚孝氏が現地を確認したところ,今までに見たことないような貝の製品を伴う墓地遺跡であることがわかりました。
発掘調査は,昭和32年に第一次調査を盛園尚孝・国分直一氏が中心となって行い,その後昭和33・34年と夏ごとに行われました。3次に及ぶ調査には,金関丈夫・永井昌文・金関恕・森貞次郎・佐野一・井関弘太郎・三島格・藤井三男・大森浅吉・林田重幸・山内忠平・大森誠吉・重久十郎・橋口尚武氏等が参加しています。
発掘調査は,約230平方メートルに及び,合葬を含む埋葬遺構90箇所,157体分の人骨と,副葬された44,000点に及ぶ貝製品が見つかりました。その膨大な貝製品の中には,広田遺跡で初めて見つかった,独特の文様を持つ貝の小板である『貝符」(下写真)や,同じく広田遺跡でしか見つかっていない竜ハイ状貝製垂飾と呼ばれる貝のアクセサリー(下写真)等,多種多様で,広田遺跡独特の貝製品が数多く含まれています。
こうした広田遺跡の魅力については,『広田遺跡の世界』のコーナーで随時紹介していきます。
出土貝製品(オニニシ貝輪・貝小玉)
(写真提供:鹿児島県黎明館)
平成15年度の調査内容
平成15年度は,広田遺跡に関連する遺跡が広田遺跡周辺にあるかどうかを確認するために,町単独の予算で,広田Ⅳ遺跡の試掘調査を実施しました。
調査は,平成16年3月15日から3月22日まで行いました。調査の際には,5日間にわたって鹿児島大学の中村直子助教授の指導をいただきました。
広田Ⅳ遺跡は,広田遺跡の立地する砂丘のすぐ後背にある微高地にある遺跡で,畑を作る際にここからは多くの土器の破片が拾われています。
今回,南種子町教育委員会で調査をした結果,縄文時代後期の市来式土器や一湊式土器,それに中世の青磁類が出土しました。遺構は確認されませんでした。今回の調査では,弥生時代から古墳時代にかけての埋葬址である広田遺跡と直接関係する遺物は出土しませんでしたが,広田周辺には,縄文時代後期から遺跡が形成されていたことがわかりました。
平成16年調査内容
平成16年度からは,国の補助を受け,調査を行いました。平成16年度の調査は,広田遺跡周辺の遺跡を確認調査し,広田遺跡に関連する遺跡がないかどうかを確認する調査を行いました。
写真1の範囲の調査を行った結果,広田遺跡のすぐ後背の微高地を中心とした縄文時代後期~晩期の遺跡である広田Ⅳ遺跡と,その東側の中世を中心とする広田Ⅲ遺跡が存在することがわかりました。また,広田遺跡の所在する砂丘の陸側の端の近くにトレンチを入れた結果,現在の林道が通っている箇所で,広田遺跡と同時期とみられる土器の破片と獣骨が出土しました。このことから,広い意味での広田遺跡の範囲が砂丘全体に及んでいる可能性がわかりました。
また,調査の成果を町民の皆様に知っていただくため,現地説明会も開催いたしました。
平成17年度の調査内容
昨年の大雨で、遺跡の立地する北側の砂丘崖面が崩れ、貝輪を装着した状態の人骨が新たに発見されました。
そこで、平成17年度は7月から8月にかけて,砂丘北側の緊急発掘調査を含め、広田遺跡の範囲確認調査を行いました。
調査の結果,昭和30年代に調査を行った南側の墓地は,更に西側にお墓が広がっていることがわかりました。
また北側の墓地があることを確認し,広田遺跡の墓域がまだ広がることがわかりました。
南区2号人骨
貝で作られたアクセサリーが首の周りに集中して発見されました。
北区1号墓
ヤコウガイ製の貝匙やオオツタノハ製の貝の腕輪を7個身に付けた青年が埋葬されていました。この埋葬遺構からは、体に突き刺さったと思われる石のやじり(石鏃)が見つかっています。ほぼ同じ時期の埋葬遺跡である中種子町鳥ノ峯遺跡でも,お墓の中から石鏃が見つかっていることから,この時期の種子島では争いがあった可能性があります。
北区2号墓
墓穴の上にサンゴや円礫をのせる覆石墓(ふくせきぼ)という、種子島独特の埋葬形態です。覆石の上には、種子島で作られたと考えられる甕形土器とともに、中津野式と呼ばれる南九州にみられる壺形土器が発見されました。このことから、この墓は弥生時代終末期に作られた墓であることがわかりました。
平成18年度の調査内容
平成18年度の調査は,7月4日から8月22日まで行われました。平成17年度に引き続き墓域の広がりを確認し,また昭和32~34年に実施された調査区の位置の再確認を行いました。
広田遺跡の立地する砂丘は保安林に指定されており、広い面積を発掘することができないため、発掘調査終了後、埋め戻した調査区で地中レーダー調査を行いました。
北区では調査区より奥でもレーダーの反応を確認しました。こうした地中レーダー調査の結果、砂丘に未調査の墓が多く残っていると考えられます。
南区8号墓
古墳時代中期~後期の5~6歳児の墓でした。
南区8号墓
当時は貴重だった、ガラス小玉も出土しました。
北区の覆石墓
調査区の奥まで覆石と思われるサンゴ石が続いています。
地中レーダー調査
地中レーダーの調査により、北区の覆石墓より奥でも埋葬遺構と思われる反応を確認しました。(レーダー反応図)
平成の調査成果
調査の結果,広田遺跡は縄文時代後期から近世にいたるまでの複合遺跡であることが分かりました。遺跡の主体は,弥生時代後期後半~古墳時代にかけての埋葬址です。
今回の調査で,南側調査区で11基、北川調査区で9基の埋蔵遺構を確認しました。このことから、墓域の範囲が陸側にさらに広がり,広田川に面した砂丘北端にも墓群があることがわかりました。これにより広田遺跡は,砂丘の少なくとも2カ所に墓域をもつ埋葬址であると考えられます。
また、地中レーダー調査を実施し、未発見のお墓が砂丘に残存する可能性が高いことも分かりました。
平成の調査では、合計2,966点の貝製品、土器92点、ガラス小玉28点、石器15点が出土しました。
貝製品にはオオツタノハ貝輪、貝符、有孔円盤状貝製品、竜佩型貝製垂飾、二孔板状貝製品、マクラガイ珠、ヤコウガイ容器、太形ツノガイ珠、細形ツノガイ珠、ノシガイ珠、イモガイ珠、貝鏃が出土しました。
これらの出土品は、平成21年7月10日に「広田遺跡出土品」として国の重要文化財に指定されました。
さらに詳しい内容を知りたい方は・・・・・
『広田遺跡』 南種子町埋蔵文化財発掘調査報告書 (1冊3,000円)をご覧ください。